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古代チャモロアートII キットガ氏の移動博物館


古代チャモロアートII キットガ氏の移動博物館          

   

10月30日、サイパンのチャモロアート歴史研究家のキットガ氏のプレゼンテーションがテニアン高校の図書館で開催されました。キットガ氏は自称「移動博物館の館長」。幼少の頃からチャモロの歴史、文化に興味を持ったキットガ氏は、父上、家族の言伝えを辿りながら、ご自分で様々なチャモロの歴史的保存物の収集と自らも手作りのレプリカを創作し、それらのコレクションをあらゆる地域(主に南太平洋地域)に持ち運びプレゼンテーションを繰り返し多くの人々にチャモロの歴史文化を伝えて来ました。キットガ氏はまもなくアメリカ本土に移住されます。4年ぶりのテニアン訪問だそうですが、これが最後のテニアンでのプレゼンテーションになるのかも。。

私にとって何よりも一番興味深いチャモロの歴史と文化について学べるこの機会を逃すわけにはいきません。小気味良い大変分かりやすい英語で話すキットガ氏の古代チャモロの歴史、文化、アート等などのレクチャーは大変参考になり、メモもとらずに夢中に聞き入っていた私です。

なので、キットガ氏から学んだ事を忘れないうちにここに書きとめておきたいと思いました。

     更新しました。 続きはRead More からです。




キットガ氏のプレゼンテーションはマリアナ諸島がスペインに支配される以前の歴史に遡ります。

今から3500年ほど前、BC1500年頃に東南アジア(マレーシア、台湾、フィリピンなどなど)からカヌーを漕いでマリアナ諸島にやって来た東南アジア系の人々がこの地に定住し、総称チャモロと呼ばれる人種が誕生しました。誰がマリアナスを発見したのか、何の為に移住して来たのかはわかりません。

          

     

チャモロはご存知のように海洋のナビゲートには優れた才能を持っていました。写真のカヌーはキットガ氏が当時からの道具を実際に使って造った手作りのカヌーです。

      

    

 

何隻もののカヌーに別れ、食料や家畜の生活必需品を乗せて仲間同士海上で合図に使われたと言う「ほら貝」。このほら貝をカヌーの上で吹き鳴らし「おーい、島が見えてきたぞ~。こっちだ、こっちだ~!」とか、信号を送り合っていた訳です。今で言う「携帯電話」です。(笑)

     

   

 

マリアナ諸島に落ち着いたチャモロ達は主に海辺で生活をしていたのですが、特に実権を握るチーフは好条件な海に近い場所にラッテストーンの支柱を構えた住居に住んでいました。その代表がタガのチーフです。各チーフの領域は許可なしでは漁も許されません。下等な部族は山に追いやられていたそうですが、彼らは彼等なりの生活力があり、農業に専念しながら川や池の魚を捕って生活をしていました。

    

    

 

ドイツ時代のタガ遺跡のスケッチです。スケッチを見ると今とは違って両側6基ずつ12基が立っていたのですね。

        

     

日本時代のタガ遺跡。2セットが頑張って立っています。現在立っているのはわずか1セットになってしまいましたが、そのほとんどが、地震などの天災、戦争によって破壊されてしまったそうです。

 

   

 

当時のタガハウスの復元スケッチ。屋根の傾斜が急なのは雨漏りを少なくする為だそう。なるほど、傾斜が激しいほど屋根に雨が溜まらず水滴が下に早く流れ落ちます。タガの遺跡は海岸沿いの岩を少しずつ彫りだして繰り抜いたのですが、一つのラッテストーンを掘り出すのに10年もの月日が掛かったそうです。古代チャモロの男性は体格がその過酷な労働から鍛えられのか、マッチョでゴツイ身体をしていました。

  

        

 

当時から一般家庭では妻が実権を握り、女性の仕事は子育て、料理、バスケット作りの家事全般と魚釣りなどもして食料の供給もしていたようです。上のイラストは(MAORITAO)未婚女性の正装です。

チャモロ式の求婚のスタイルは、「娘さんを下さい。」とお願いする時に「びんろうじゅの実」をバスケットに入れて両親に届けます。「びんろうじゅの実」を受けた取った家族がその実を噛むとその結婚は成立した、という合図だそうです。

余談ですが「びんろうじゅ」はマレーシアのペナン(ペナンはビンロウと言う意味だそうです。)が発祥の地ではないかと思います。カヌーで渡航する際に「びんろうじゅ」も荷物の中に入っていたはずです。

 

               

         

男性は猟をしたり、戦争をしたり、ラッテストーンを掘ったりしていました。上のイラストは(URRITAO)戦士の正装です。髪の毛は男女共に長く伸ばしていましたが、それには理由があります。

     

     

 

それは上の写真のような盾を造る時に飾りに人の髪の毛を使っていたのです。盾だけでなく人の髪の毛や亡くなった人の骨などは大切な道具の一部として再利用されていたのです。当時は鉄などの資源がないので貴重な材料だったのですね。肉体は滅びても遺骨や頭髪が次世代の子孫が生き抜いて行くための道具として活用する知恵は古代のチャモロにとっては当たり前の事でした。人骨は主に釣り針や鏃(やじり)に再利用されました。孫が「この釣り針は死んだ爺ちゃんの骨だんべ。」と自慢したりしても不思議ではなかったんです。

      

    

 

キットガ氏の手作りの道具です。木の柄の部分は木製なので今では朽ち果て見つけることは不可能ですが、石や貝の先に使われている部分はジャングルや遺跡跡で発見されたものです。(鉄製のチーソーは近代のものです。)

    

    

 

シャコ貝を使ったカマのような道具。カマの先に使われていたシャコ貝はジャングルなどの集落跡で発見できます。

    

    

 

1、ハンマーのような道具の先。

2、男性用ネックレス(勇者に与えられる。)

3、スリングストーンの弾。(狩や戦争で使われた。)

4、下が石、上はココナッツの殻でこれを海中で振ると魚が寄って

来るように飼育し、慣れてきて沢山集まった所で

投げ網などで魚をキャッチ!

5、女性用ペンダント。

6、釣り針

7、ペンダント

 

  

 

これなあに?

タコ用の釣りの仕掛けなんです。タコが餌の宝貝の部分に絡みつき下に付いている2本の針に引っかかるそう。針の部分は魚の骨を利用しています。

    

    

  

軸を手で持って横の棒を下に押し下げると、先っぽの尖った部分がクルクルと回り穴を空けられます。これもキットガ氏が復元した手作りの一品。

    

    

  

私が首に付けているのはネックレスではないと思います。キットガ氏に聞くのを忘れちゃいましたが、自分で想像するには、喧嘩の時にこれを振り回して相手をぶん殴る武器じゃないかと思うのですが。

当時のチョモロが喧嘩をする一番の理由が「噂話」だったそう。

古代チャモロ時代はそれが例え噂話が原因でもお互い殺すまで戦います。そして勝敗がついて、誰かが死ぬと盛大な葬式パーティをします。

その葬式スタイルは現代にも受け継がれ、今ではカトリック式の葬儀ですが通夜レセプションはこれでもかと延々と続きます。余り長すぎて葬儀が終わる頃には悲しみより疲れてきちゃいます。朝昼晩とビジターに食事を提供するので「あ、今夜のデザートにはドーナッツがある!」とか食欲の方が先立ってくるもんです。ちなみに一般の通夜が9日間、9日目に葬式、埋葬。その後に家族だけの通夜がまた9日間続くんですよー。

    

    

 

チャモロのルーツと言うのは残っている文献も少なく、スペインに占領されるまで本来のチャモロだけの歴史は短い期間のため、薄っすらと積もった埃をそっと払い落とすように、そして少しずつ少しずつチャモロの子孫だった人々の語り草に耳を傾け、ジャングルに残されたわずかな道具の欠片を拾い集め研究し、解き明かすお仕事は大変な努力と情熱が必要です。

大切な古代チャモロの伝統を今も大切に守り語り次ぐキットガ氏に敬意を表します。

 

                                

                                  By michi

ブログ上のイラストや写真はキットガ氏のプレゼンテーションに用いられたボードから引用させていただきました。

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2008⁄11⁄03 20:27 カテゴリー:ハイク etc. comment(5) trackback(0)
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コメント



コール先生につづいて、貴重な人がまたアメリカに・・・
残念なことです。
それにしても興味深い話の数々。
ペンダントになるという削れた貝殻は、今でもビーチで拾う事ができますよね。(写真ほど大きいものは見つかりませんが)
それよりなにより・・・
ティアドロップのカタチをした「石のペンダント」今度michiさんにお会いしたら、胸元に輝いていたりして。。。
ぶん殴られないように気をつけないと。。。(笑)
最近、日本でも遺骨をペンダント(宝石に加工して)にするというサービスがあります。
ボクの友人にそれをしている人がいます。
身近なカタチで大切な人がいてくれる、そんな安心感があるのかもしれないと考えたら、古代チャモロの人々も同じ気持ちだったかもしれませんね。
(2008/11/04 16:06) URL | 荘之助[ 編集]


あははは~、荘さん、ティアドロップね~。
これでぶん殴られたらホントのティアドロップ(涙が流れる)ですよね~!

遺骨ペンダントにはビックリ。そうね~、古代のチャモロは自分の家の中にも遺骨を飾ったりしてたみたいだし、住居のすぐ傍に遺体を埋めてたり、生と死の境をあまり意識していなかったかも。それが人間の素のままの姿なのかもしれません。

(2008/11/04 19:36) URL | michi[ 編集]

創意工夫の原点
これぞ必需品、て感じの数々、チャモロの方って環境への適応能力も知恵もあって、とっても器用ですね。無駄なく的確なお道具、心からの思い溢れるアクセサリー、“人間”を感じます。
ドイツ時代のタガ遺跡の列柱と、住居跡のスケッチを拝見して、これがどういう役割だったのが初めて知りました。しかしこんなに大きな石の柱、ひとつ10年かかったとしても、どんな人が考えて、どれ位の人が関わって、どうやって作り上げたことやら。私にとってはやっぱりイギリスのミステリーサークル並のミステリーです。ん~。ロマン、ロマン。
(2008/11/07 21:45) URL | ありどん[ 編集]


そうですね~想像できない時間とエネルギーがあってこそ造れるんでしょうね。今では横に倒れたタガの遺跡に腰掛けて、じかに触れることができるのは素晴らしいことだと思います。

ラッテストーンには様々な説があると言われていましたが、絵に描かれているのが一番シンプルに分かりやすいですよね。でもタガの支柱を何故こんなに大きくしたのかが不思議です。うん、やっぱりロマンだ~!
(2008/11/08 16:38) URL | michi[ 編集]

お邪魔しました(^^)。
こんにちは。

仕事の合間に覗かせてもらいました(^^)
またゆっくり遊びにきます。
それでは。。
(2009/11/13 16:47) URL | ○KEEP BLUE○[ 編集]



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