エリカビーチ。テニアンビーチとも呼ばれたり、チャモロの間では「ラサリノ」とも呼ばれる。
もう一つ忘れてならない名前が「レパシービーチ」。レパシーとは英語(Reprosy)でハンセン病、当時はらい病と呼ばれていました。南洋庁によって建てられた療養所がパラオ、グアム、サイパンにもあったと言われテニアンのエリカビーチにも「らい病院」がありました。
きょうはテニアンの影の部分、その病院跡を歩いてみました。
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エリカビーチへは北に向かってテニアンゴミ収集場の手前を左折すると道がすぐ二股に分かれているのでそれを左へと進んでいく。右に行けばらい病患者の眠る墓地に出る。
ここのお墓はらい病患者のお墓だが全て現地の人が埋葬されている。(チャモロ、カロリニアン、その他地名は定かではないがミクロネシア人という事。)
私が結婚する前のこと、20?数年前に初めてテニアンに長期滞在で来た時にマリアナ諸島発行の健康診断書に日本の医師からの記入事項が必要だった。テニアンに渡航する前にかかり付けの病院へ行きその書類に必要事項を記入してもらう時、ドクターから言われた事が、
「michiさん、あなたのらい病の有無が必要です。なぜ必要なのか調べたら昔、らい病の病院があったようですが、あなたの病気の有無については「無し」にしておきますね。現在テニアン島には患者は存在しないでしょうが小さい島ゆえに用心の為ということでしょう。そのうち改正されれば健康診断書からもこの項目は省かれると思いますが。」と仰った。
エリカビーチへと続く道の左側に病院跡がある。
ここが入り口。この階段から奥へと入れます。以前から階段の右には石垣があって建物のファンデーションの土台になっていたのがわかります。
ミクロネシアは戦争末期にらい病患者が虐殺に巻き込まれた歴史が残されています。そのストーリーにはここではあえて触れませんが、それも戦争による悲劇の一抹だっのか病気に対する差別だったのかは定かではありません。
階段を上がると周りは静かな新緑に囲まれたジャングル。この先にも階段があります。
長いコンクリの廊下が続いています。
右上方に見えてきたのはセメントバッグが積まれた建物跡のようなもの。
セメントバッグは日本軍が戦時中に防御用に使っていたので、これが病院跡と関係のある物か何故こんなに沢山のバッグがここに積まれているのか分かりません。この上に登ってみましたが上は平地のジャングルになっているだけでした。
日陰には沢山の「スネークプラント」が繁殖していました。この植物がある所はかつて日本人が住み庭の花壇に植えていた名残だそうです。
迷路の様になっていますがここはまた別の廊下のある場所。
四角い建物の壁の跡だけが残っています。
時々どこを歩いているのか分からなくなっちゃいますが、、、エリカが立っているのは一段高くなったファンデーションの上。
出口に向かってGoing Homeです。
エリカビーチにはここ以外にもサナトリウムらしき跡があります。当時グアムでこの病に冒されテニアンの病院に送られ、退院された方の証言も事実残されています。らい菌は感染力が極めて弱く遺伝しません。患者から感染することもありません。それなのに長い間誤解され続け患者達は強制隔離を強いられて来ました。どんなに自由に普通の人達と同じ人生を夢見たことでしょう。
澄んだテニアンブルーのビーチを目の前にしてこんな暗い影の部分も時には胸に刻む時間があっても良いのかもしれません。この島に暮らして学ぶ事の多い機会があることに感謝です。
病院跡探索を終えた後はビーチに出て貝拾いをしてリフレッシュすることに。
大きなヤドカリが心を和ませてくれました。テニアンの優しさにも触れた一日でした。
By michi
PS: この病院跡の情報についてはテニアン歴史保存課(HPO) のボルハ氏から得る事ができました。お忙しいにも関わらず親切な対応をありがとうございました。
Duettorio荘日記 荘之助さんのブログにもエリカビーチが紹介されています。こちらから
2008⁄07⁄16 16:10 カテゴリー:ハイク etc. comment(6) trackback(0)
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懐かしい~。
白爺とEmiiの、ホーム釣り場が出てきました。
最近は「釣り禁止」の浜になってしまいましたが、先月はEE(平鯵の子供)を釣りに行きました。
まだ平鯵は入っていませんでしたが・・。
この日も投網を持った人と、イイを釣っているカップルがいましたよ。
白爺さん達が今もいたら毎日この浜に釣りに来てるのかな~と思っていました。イイも以前に比べると少なくなりましたね~。
この病院跡も、バンダナおやじさんに聞いて、訪れること数回・・・
とうとう見つけることができなかった場所です。
今回、写真で拝見できて、うれしく思っています。
らい病は・・・。
医療従事者として、考えさせられる出来事です。
いまでも注射器やアンプルが落ちているとも聞いたことがあります。
やはり、そうなのでしょうか?
大分前にはそんな話は聞いたこともありますが、今では欠片も見かけません。
今回、病院跡を見学できたのはHPOが丁度整備直後だったのでラッキーでした。石垣はエリカビーチに出る前に左側に見えてましたので、そこを通るたびにこの中に埋もれてるんだなと思っていました。次回ぜひ訪れてみて下さい。
テニアンビーチに行った際、墓地のところで白爺さまにハンセン病のお話も伺いました。初めて聞くお話で、またサナトリウムもあったとはとても驚きました。ついつい戦争の傷跡に意識が向きがちですが、テニアンの歴史のひとつをこれでまたお勉強できました。
病気に対する正しい認識が回りに理解されないのは悲しいことですね。
生い茂る草木の中で、残されたコンクリの長さがとても印象的です。
可愛い後ろ姿はパンダちゃんですか?
いつも明るいイメージのテニアンですが、正直に影の部分も紹介したいですね。ありどんさんのような受け止め方をしてくださると嬉しいですね。
パンダは崖のない所以外だったら何処へでも連れて行きます。
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